まだ見ぬ世界

Hey! Say! JUMPに関する私的記録・考察などなど

次の世界作るんだ

わたしは変人と言われることが多い。ここにいるべき人間じゃないとは1年に1度は言われる。その自覚はある。人とちょっとずれてるのはわかってるけれど人とは違う道を行けないのだ。要するに臆病。そんな自分に不満をもっているけれど今までなるようになっている。

国公立の2次試験の記事を読んでやっぱり変人が生きにくくなっているような気がしている。わたしが言う変人とは文字のまま変わった人のことだ。変人は輪の中には入りにくいし入ろうともあまり思っていない。つまりはじかれやすいということだ。しかし世界を作ってきた人間はほとんどが変人だろう。面接したところで何がわかるというのだ。その数分で人のすべてがわかるとでも?ひとりひとりをちゃんと見ていきたいなんてよく言えるものだ。内申点というものがわたしは嫌いで仕方なかった。あんなもの教師に媚びてるやつのほうがいいのはわかりきっているからだ。同じ成績のふたりがいるとしよう。しかしそのふたりの内申点は違う。授業をちゃんと聞いているか聞いていないかの違いだとやつらは主張するが、現に聞いてる人と聞いてない人の成績は同じなのにその授業を聞く必要はあるのだろうか?結果主義の今日。それなのに勉学だけは結果主義じゃない?確かに学校というものは勉強だけがすべてではないと思うが、大学の存在意義とは?それでは推薦入試の意義とは?マークが苦手という人もいる。記述が苦手という人もいる。そう考えると今の制度も悪くないと思うのだが。世渡り上手が得をする世界。反吐が出る。